藤白幸伸様

藤白幸伸様  株式会社港薬品造園 会長(神奈川県在住)

400年後の子孫の為に

お客様のお言葉
学校を卒業後、若い時に現在の妻と結婚をし、幸い子宝にも恵まれ、その後、私が始めた事業も成功し、また、子供たちもそれぞれが結婚をし、今は何の心配もなく全てに感謝しながら毎日を生活しております。

私が今から約10年程前に我が家の先祖調査を思い立ったのは、私の先祖が新潟県にかつて存在した新発田家の蔵奉行だったと聞かされたことがあり、そのことが頭から離れなかったからです。

そこで、自分でいろいろ調べてみますと、新潟溝口藩400年の歴史の前の戦国時代に、上杉景勝、直江兼続と7年間の戦をし、7年目に討死をしたことが分りましたが、負けた武将の資料はほとんど残っておらず資料調査には限界があり、そのため何度も夫婦で新潟県に足を運びました。

先祖調査を開始してから7年目の年に、今回の調査で最後の先祖調査にしようと妻と決めて新潟に向かい花咲温泉に三泊し、新発田重家公の菩提寺に立ち寄りました。

幸い、その時にご住職とお会いすることが出来たのでお話をさせて頂いたところ、ご住職から新発田重家公に関する古い文献を頂戴いたしました。思わず手を合わさずにいられませんでした。

私の母の話では、新発田重家公の時代に飢饉があり、見るに見かねて殿様に内緒で蔵を開いて村人を助けたそうですが、その結果、打ち首にはならず一族郎党所払いになり宇都宮辺りに来たようです。

その後、幾世代も経て子孫である私は事業を起こし、苦労もありましたが何とか夫婦で乗り越え、お蔭様で順調に発展をすることが出来ました。

このように自分なりに先祖調査を行い現在まで暮らしてきましたが、ある時に安藤先生に先祖調査を依頼し、一緒に現地調査を行い、何とかご先祖様を明らかにしたいと思いました。

専門家に先祖調査を依頼したことで、今まで所在不明であった祖父の兄弟の子孫(最高齢は92歳でした)とも会うことが出来ました。

また、菩提寺での先祖調査と家紋調査も行い、一族の家紋も全て一致しておりました。

曾祖父が離縁した曾祖母のその後が不明でしたが、親族調査の結果、86歳で亡くなっており、そのお墓も東京都内にあることが判明しましたので、先生とお参りに行きました。

この調査で、曾祖母は曾祖父と離縁後に再婚をし、私の系統とは別の子孫がおりましたが、再婚後の子孫の方とも連絡が取れ安藤先生と一緒に訪問し、すっかりと打ち解け色々と曾祖母のお話を聞くこと出来ましたので、曾祖母がより身近に感じられるようになりました。

また、詳細は割愛しますが、資料文献調査によって15~16世紀の新潟県新発田市の地形が復元され、それによると当時は河川が蛇行しており非常に氾濫しやすい地形であったことが明らかになり、さらに、現在のように土地が干拓をされておらず、沼地のような潟が広がっていたことが資料文献から確認することができました。

当時の歴史的な気象状況が寒冷期にあたることも確認でき、全国の飢饉の歴史的資料からも飢饉の発生は裏付けられましたので、ご先祖様からの伝承である「・・あるときに飢饉が起こり・・」ということが実証され、言い伝えはやはり実際にあったことが確認できたときは、本当に感激いたしました。

調査報告はさらに続き、和歌山県海南市の藤白神社へと繋がって行きました。

宇多源氏(近江源氏)の佐々木秀義と紀州の藤白の地頭であった藤白鈴木氏との関係から、ご先祖様と源氏との関係が生じたと分かりましたし、藤白家のご先祖様が仕えたとされる新発田重家公は、この近江源氏の佐々木盛綱公の嫡男の加地信実公の系統に当たり、その後、上杉謙信公にも仕えましたが、謙信公の死後、上杉景勝との戦に敗れて新発田家は滅亡しましたが、ご先祖様はその時に生き延びたことが分かりました。

戦国時代に城が落城し、滅亡した場合には歴史上の資料が存在しないことが多いのですが、当時の具体的資料が欠落した個所は、可能な限り客観的資料を探しだして証拠を固め、誰が見ても批判に耐えうるように順を追って検証してくれましたことに感謝しております。

最終報告書では、ご先祖様の移動経路も紀州⇒近江⇒越後⇒会津経由で常陸⇒下野と判明しました。

妻と共に7年、安藤先生と共に3年、合計10年間をかけて先祖調査をしてきた甲斐が本当にありました。

今年の六月に私たち夫婦と義理の母の三人で、安藤先生の作った旅行案内書を基にして、この道を旅行してきましたが、思い出に残る素晴らしい旅行になりました。

400年前に越後を出たご先祖様から私に繋がり、今度は私から400年後の子孫の為に私が7年間集めたものと安藤先生と一緒に3年間調査した結果を合わせた膨大な10年間の資料を子孫の為に残すことが出来て本当に良かったと思います。これで、私の先祖供養が出来たかと思うと肩の荷が下りたようで、今はとても清々しい気持ちで一杯です。


藤白様は、私にとって非常に思い出深いお客様です。
ご依頼前に、既にご自身で7年間ほど奥様とご一緒にご先祖様の関係する土地を回られ、資料調査なども行われ、非常に熱心に先祖調査をされており、私も非常に驚かされました。
このようにご自身でいろいろとお調べになった上で、最終的にご依頼を頂くこととなりました。
ご依頼の調査内容はかなり困難で、調査期間も3年間という長期間となりました。
また、ご希望により、ご依頼主の藤白様も私と一緒に合計10回の現地調査に全て同行をされました。
藤白様の日産プレジデントに同乗させていただきご一緒に現地調査をさせて頂いたことが、今は私の大変良い思い出となっております。
こうした経緯があり、最後に報告書と家系図等一式を無事にお届けさせて頂いたときは、私も非常に感慨深いものがございました。

藤白様ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(安藤)

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