お客様の質問シリーズ 1江戸時代の小判の値段(現在価値)

 時々お客様から何気なく質問されることの中で、きちんとご説明するのに時間がかかる難問をブログに書こうと思います。
 こうしたご質問は、お客様が興味をお持ちで、お知りになりたいことだと思います。
 私もずいぶんと質問をされて非常に勉強になりましたので、その内容を書いて皆様に読んでいただけたらと思います。

 第1回目の今日は、小判の値段(現在価値)についてです。

◆江戸時代のお金の種類
 江戸時代のお金についてですが、現在同様に貨幣と紙幣がありました。
 現在では、貨幣よりも紙幣の方が高額です。貨幣は重いですし、その割に紙幣よりも価値が少ないので、貨幣よりも紙幣が好まれています。

 さて、江戸時代には貨幣が3種類ありました。
 現在でいうところの金貨、銀貨、銅貨になります。紙幣は「藩札」といわれるものです。
 
 このうち金貨は誰でもご存知の「小判」とよばれ、これよりも一回り大きなサイズの「大判」というものも存在しましたし「一分金」「一朱金」というものもありました。
 銀貨は「丁銀」(ちょうぎん)、「豆板銀」とに分けられました。「丁銀」は棒状で「豆板銀」は小石のような形状です。
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 「小判」は江戸中心の経済圏で、「丁銀」「豆板銀」は大阪を中心とする経済圏で主に流通していました。
 つまり、金貨は関東、銀貨は関西というザクッとした分け方ができます。
 関東で小判が普及した理由としては、当時の金山が主に常陸、甲斐、伊豆、佐渡などにあり、また、徳川家康によって金貨の一般通用が新しく取り入れられた政策という経緯がありました。このため「小判」は主に関東地方を中心に流通しました。
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 他方、銀貨ですが、江戸時代には主に大坂を中心とした西日本および北陸、東北と広域にわたって流通しました。つまり関東以外は銀貨が主流であったと考えても良さそうですが、これは石見銀山などの優良な銀山が関西よりも西にあったためとも考えられます。

 最後の「銅貨」ですが、有名なものに寛永13年(1636年)から幕末まで鋳造された「寛永通宝」があります。
 708年(和銅元年)に日本で最初に鋳造・発行された流通貨幣である和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)も銅貨で、日本で一番長い歴史があるのは銅貨になります。
 これら貨幣の鋳造権は江戸幕府にありました。 
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 貨幣から紙幣に目を移しますと、「藩札」といわれる紙幣がありました。 藩札は、江戸時代に各藩独自に領内に発行した紙幣です。
 日本で最初の藩札は、通説によれば越前福井藩が寛文元年(1661年)に発行した銀札と言われています。
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 現代と異なり、江戸時代は紙幣よりも貨幣が全国的に流通するものとして重要視されていたことが分かります。

◆金貨、銀貨、銅貨の換算方法
 金貨の場合は小判を例にしますと小判1枚を1両といいます。1両は4枚の1分金と等しく、16枚の一朱金と等しい価値になります(1両=1分金×4枚=一朱金×16枚)。
 また、当初、小判1両は銀50匁(225g)で、銀50匁(=1両)は4枚の1分銀と等しく、16枚の一朱銀と等しい価値になります(1両=1分銀×4枚=一朱金×16枚)。
 さて、小判1両(=銀50匁)を寛永通宝に換算すると一体どの位の枚数が必要になるか知りたくありませんか。
 実に4000枚という枚数になります。寛永通宝1枚は小判1枚の1/4000の価値ということになります。
 *上記は一般的な換算方法ですが時期によって比率は異なります。江戸時代を通じて常にこの比率でどの地域でも換算されていたわけではありません。

 そこで、小判1枚の現在の価値が分かれば、江戸時代の銀貨も銅貨も現在の価値がある程度スグに判明することになります。

◆お客様からいただく質問
 お客様から「先生 小判1両って現在の価値でいくらくらいでしょうか」という質問をされることがあります。
 お寺の過去帳などに、お客様のご先祖様が「〇両お布施をされた」という記録などがあり、興味を持たれて質問される場合もございます。 

 これをお客様にお答えするには、上記のようなこともお話しする必要がありますが、通常は「だいたい1両10万円位です」と答えることにしています。
 これは、お客様があまり複雑な話を好まれない場合などには、分かりやすくパッと把握できるようにと考えてのことです。ご容赦ください。

 しかし、実際には江戸時代に小判は何度となく鋳造され、金の含有量もそれぞれ異なりますので、このようには断言できないのが実情です。
 1601年に鋳造された慶長小判の金含有量は84.3%といわれていますが、幕末(1860年)の万延小判では56.8%になってしまいます。これが同じ現在価値であるわけがありません。

 また、基本的に江戸時代は「米」が年貢(税金)ですので、言い換えますと税収の大半が米という現物になり、御家人、藩士への禄(給与)なども現在と異なり米の現物支給が一般的でした。この米の価格を基準にして当時と今の値段を比較しますと、1両=約4万円程度とされています(日本銀行金融研究所貨幣博物館資料より)。

 しかし、大工さんの手間賃を基準に判断しますと1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金を基準にしますと1両=12~13万円という試算も紹介されています。
 従って、何を基準にして1両を現在価値に引き戻すのかによって全然異なる金額になるという訳です。
 はっきり申し上げますと「一言で申し上げるのはむつかしい」ということになります。 

 これらをお客様にすべて丁寧に説明して差し上げるには少々時間がかかります。そこで、説明を差し上げる時間がない場合には、これらを平均して「だいたい1両10万円です」とお答えをしているわけです。もちろん時間的余裕がお有りの客様には、こうした説明を分かりやすくさせていただいております。

◆猫に小判
 小判お話が出たついでですが、「猫に小判」という諺をよく耳にします。
 この意味は一般的に「価値の分からないものに価値のあるものをあげても無駄だ」という意味に使われているようです。
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 そこで「猫に小判」とは一体いくら位の金額かということですが、「猫に小判」の写真を探しますと「壱千萬両」と書いてある札が猫の首に下げてありました。
 仮に1両の現在価値を低めの4万円(米を基準)として計算しますと壱千萬両は4000億円になります。やはり動物の猫には使い切れない金額で無駄かもしれません。

 (2016年10月31日)

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