築地市場と江戸の台所(2)

 前回は、築地市場の成立に絡めて江戸という都市の成立も見ることが出来ました。
 徳川家康より前の太田道灌時代で100戸程度でした。

%e5%a4%aa%e7%94%b0%e9%81%93%e7%81%8c

 従って、現在、東京都にお住いの多くの方々は第二次世界大戦後に東京に移ってこられた方が多いと思います。
 
 「江戸っ子は三代続いて江戸生まれでなければならない」と言われますが、江戸時代から続く代々江戸っ子の家系よりも、現在では、明治以降になってから移ってこられたご先祖様を持つ江戸っ子が多いと思われます。

 そうしますと太田道灌時代の江戸に存在しました100戸の中にご先祖がいらっしゃる方は、東京都にどのくらいいらっしゃるのかとても興味があります。
 もし、ご先祖様調査のご依頼を頂いたら喜んでお手伝いさせていただきたいと思います。

 さて、江戸時代の代表的な市場のうち、「日本橋魚市」が築地市場になったわけですが、その他の食料で重要な「米」「野菜」はと言えば次のとおりとなります。

〇米・・・・蔵前
〇野菜・・・神田

 米ですが、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買上米などの収納・保管倉庫を御蔵と呼び、大坂、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵と言われました。特に浅草御蔵は重要で、ここの米は主として旗本、御家人の給米として供されました。
 %e7%84%a1%e9%a1%8c

 これを御家人に代わって現金化するのが札差(ふださし。旗本・御家人に支給される米の仲介業者)という商人でした。地名としては東京都台東区の町名に「蔵前」がありますが、この町名は江戸時代にありました浅草御蔵にちなんで昭和9年に付けられました。現在は国技館があり全国的に有名です。

 野菜は、江戸初期に「菜市」が開かれたのを起源とする「神田」が有名です。当時の神田は水陸交通が発達しており、各地から青物が集まっていたようです。
 オフィスビルが現在立ち並ぶ東京都千代田区の地名に神田多町(かんだたちょう)があります。

 この町は慶長11年(1606)に出来たとても古い由緒ある町です。この町の名主河津五郎太夫(かわづ ごろうだゆう)が慶長年間に二丁目に菜市を開いたのが神田菜市の起源になります。それ以来長く神田で続き、関東大震災後に多町市場は秋葉原に移り、平成3年に現在の太田市場に移転しました。

j02

 この河津五郎太夫の子孫の方は現在どうしていらっしゃるのか、とても興味があります。
 「河津」という姓は、地名の河津からきているようにも思えます。そうすると伊豆の河津が浮かびます。
 そのご子孫が現在野菜に関係するお仕事をされていたら素敵だなと思います。

 (2016年11月5日)

Posted in 公式ブログ.