歴史ブログ 江戸時代の大名(譜代 親藩 外様)

時代劇を見ていますとお殿様がほぼ必ず出てきます。ある時は将軍であったり、また別のときには水戸の御隠居様であったり、いろいろです。

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さて、江戸時代において殿様は旗本以上の主君や貴人に対して使用されました。
語源的には「大名主」であり、これに類する語としては「小名」(しょうみょう)があります。
小名は、あまり有名でないことを意味しますが、大名は大きな所領を持ちは以下の武士を多く抱えた有名な武士と言うニュアンスになります。

さて、江戸時代では「石高1万石」という基準があり、1万石以上の場合には大名と言いました。この大名には3種類があり、「親藩」「譜代」「外様」と分類されます。

●親藩は徳川の血を引く大名(徳川家康の男子男系子孫に限ります)で、血縁関係にある親戚の藩になります。
尾張、紀伊、水戸の御三家がこれに当たります(のちに吉宗の時代から御三卿も加わります)。
もし将軍家に跡継ぎが無かった場合には、この御三家の中から将軍が選ばれることになります。姓も「松平」を名乗りました。*御三家=尾張、紀伊、水戸。御三卿=田安、一橋、清水 です。

●譜代大名ですが、「譜代」は先祖代々と言う意味です。ある主家に先祖代々仕えた家臣の家系を「譜代の臣」と呼ぶように何代も主家に仕えていますので信用度は高く、その大半は10万石以下で5万石以下の大名も多いのですが、幕府の要職につけました。
具体的には関ヶ原の戦の以前から徳川(松平)家に仕えていた家臣等の家系になります。多くは重要な領地を与えられ、幕府の中でも重用され老中、若年寄などの要職に就きました。譜代大名の江戸幕府における別の役割は、次の外様大名の監視することでした。

●外様大名は、関ヶ原の戦いの後に徳川家に仕えることとなった大名で、幕府内では重要な役に付けず領地も江戸から遠いところにありました。外様大名は豊臣政権時代には要職についていた大名が多く、関ヶ原の戦いの後、転封されたものも多くありました。有名な外様大名は次の通りです

加賀藩前田家、薩摩藩島津家、仙台藩伊達家、長州藩毛利家、・・・これが、明治維新へのエネルギーへと転化するのは約260年後になるのですから、歴史は本当に面白いと思います。

(平成27年12月22日)

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