歴史ブログ 大名の石高(1)

こんにちは 「東京の家系図屋さん」の行政書士安藤です。
12月も過ぎようとしていますが1年は早いと毎年年末になると感じます。

さて、前回の続きになりますが、江戸時代の大名の石高と言うのはどの程度だったのでしょうか。

江戸時代には、大名がおよほ270程度存在したことは前回お話しいたしましたが、各大名はどのくらいの石高だったのでしょうか。

そもそも江戸時代の日本全国の総石高ですが約3000万石でした。

この総石高を徳川幕府と各大名で分けることになりますが、まず江戸幕府領(旗本領地を含みます)は約700万石でした。残りの約2250万石が大名領となります。
比率で言いますと幕府が二割五分(25%)、大名が七割五分(75%)と言う感じでした。

前述のとおり、日本全国には幕末頃には270程度の大名がおり、それぞれが領地を統治していました。この大名の6割弱が5万石未満でした。

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・1万石以上2万石未満=28%(63家) 2万石以上3万石未満=16.4%(37家) ・3万石、以上5万石未満=14.2%(32家) *出典「日本の歴史12 江戸開幕」。寛政4年(1664)に領地を幕府から承認された225大名を対象(その後、分家などがあり幕末までに徐々に増えて行きます)。

先ほどの旗本ですが、大名が徳川幕府の。直臣のうち禄高1万石以上ですので、禄高1万石未満のものになります。このうちお目見えを許されるのが「旗本」で、許されないのが「御家人」と呼ばれていました。

江戸初期の大名の中で特に石高が多い大大名は次のとおりです(元和3年(1617)当時)。

<外様>・米沢藩 上杉景勝 30万石 ・秋田藩 佐竹義宣 21万石 ・盛岡藩 南部利直 10万石 ・山形藩 最上家親 57万石 ・仙台藩 伊達政宗 60万石 ・会津藩 蒲生忠郷 60万石 ・上田藩 真田信之 10万石 ・津藩 藤堂高虎 32万石 ・加賀藩 前田利常 120万石 ・宮津藩 京極高知 12万石 ・鳥取藩 池田光政 32万国 ・紀州藩 浅野長晟 38万石 ・松江藩 堀尾忠晴 24万石 ・広島藩 福島正則 50万石 ・長州藩 毛利秀就 36万石 ・徳島藩 蜂須賀至鎮 25万石 ・土佐藩 山内忠義 20万石 ・高松藩 生駒一正 17万石 ・岡山藩 池田忠雄 32万石 ・松山藩 加藤義明 20万石 ・宇和島藩 伊達秀宗 10万石 ・小倉藩 細川忠興 40万石 ・福岡藩 黒田長政 52万石 ・佐賀藩 鍋島勝茂 36万石 ・久留米藩 田中吉政 33万石 ・薩摩藩 島津家久 61万石 ・熊本藩 加藤忠広 54万石 などです

関ヶ原の合戦が、慶長5年(1600)ですので、その直後の時代になりますが、物凄い大名が沢山いるのが良く分ります。
こうしたご先祖様をお持ちの方、また、そうでない方も等しくご先祖様を敬うことは大切なことだと思います。

選べる調査方法

内容が多いので、譜代大名は次の機会にさせていただきます。
 

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