歴史ブログ 大名の石高(2)

明けましておめでとございます。昨年は皆様に大変お世話になり、ありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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さて、前回の続きですが、今回は「譜代大名」の石高についてお話しさせていただきます。
大坂の陣の直後の元和3年(1617)の時点で5万石以上の大名を対象にして北から順に申し上げますと次の通りになります。

<譜代>・宇都宮藩 奥平忠昌 10万石 ・平藩 鳥居忠政 12万石 ・高田藩 酒井家次 10万石 ・館林藩 榊原康勝 11万石 ・松本藩 松平康永 7万石 ・佐倉藩 土井利勝 7万石 ・高崎藩 松平信吉 5万石 ・加納藩 奥平忠政 10万石 ・大垣藩 松平忠良 5万石 ・桑名藩 松平定勝 11万石 ・彦根藩 井伊直孝 20万石 ・岡崎藩 本多康紀 5万石 ・高須藩 徳永昌重 5万石 ・篠山藩 松平康重 5万石 ・竜野藩 本多政朝 5万石 ・尼崎藩 戸田氏鉄 5万石 ・明石藩 小笠原忠真 10万石 ・姫路藩 本多忠政 22万石 ・日田藩 石川忠総 6万石 

譜代大名で最大の石高は、姫路藩の本多忠政の22万石です。これに対して前回のブログでご案内の通り、外様大名の中では加賀藩の前田利常が120万石であったり、福岡藩の黒田長政が52万石、薩摩の島津家久が61万石と大大名(だいだいみょう)がおります。

しかし、旗本を含む徳川幕府の総石高は約自700万石といwれていますので、徳川幕府だけが突出して大きな石高で、前田家と言えども1/5~1/6程度になります。これだけの差がありますと、外様大名が一人で徳川幕府に逆らうというのは不可能だとよく分かります。

また、上記の「譜代大名」、「外様大名」以外に「家門大名」(かもんだいみょう)という徳川将軍家の血族の大名もおりましたので、徳川幕府の力は石高からは更に強化されます。

幕末には、これらの藩から分家なども出て数が増え、最終的に約270程度の大名家になりました。

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さて、次に石高ですが、検地によって土地の見込み収穫量を算定し、石(こく)で表示します。1石は10斗(=100升=1000合)で、大人の1年分の食料の量に相当します。例)3合/日×333日=999合=約1石)
また、その田畑の生産量の優劣によって上田、中田、下田等に等級付けされたましたが、現在、このようなお名前(氏)の方は、あるいはこのような理由によってある時期に姓(氏)が決まった可能性もございます。

「石高」ひとつを取っても、いろいろと話題が尽きないのが日本歴史ですが、また、そこが大変面白いところだと思います。

(平成28年1月2日)

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