歴史ブログ 武士の相続 家督相続と隠居

家系図を作成する場合や相続などで古い戸籍を取り寄せてみてみますと「家督相続」と言う言葉が良くでてきます。現在では使用されていませんが、戦前は家督相続と言う制度がありました。              

この家督相続制度では、戸籍上の家の長を戸主とし戸主の地位などを次の戸主が引き継いていました。現在のように共同相続するのではなく単独相続が原則であったわけです。                   
ちなみに、戦前の旧民法では戸主権として、家族の婚姻・養子縁組に対する同意権、居所の指定に従わない家族の離籍などが認められておりました。
                                                   さて、では、この家督相続制度は明治の旧民法制定前はどうであったのかということが、行政書士として相続手続き等を、東京の家系図屋さんとして家系図や先祖調査を行う私の出番になるわけです。

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                                                   江戸時代の相続については身分が深く関係し、武士の間では特に厳格に定められていました。武士の身分の相続には3種類があり、「家督相続」「番代わり」「新規召し抱え」がこれに当たります。   

簡単に説明しますと「家督相続」は幕臣の中でもお目見え以上の身分の者の場合に行われました。具体的には旗本または三河以来の譜代の旗本が対象になります。
「番代わり」は与力、同心などの奉行所に所属する場合や、番方(たとえば書院番とか)の場合が対象です。 「新規召抱」(しんきめしかかえ)は、新たに採用されて番入(ばんいり)また役成(やくなり)したもので、本来は1代限りですが、実際は子などが相続可能でした。
                         
明治政府のもとで日本に民法が制定されて相続に関する規定を定めるときに、おそらくこうした古い制度なども参考にしたのだと思いますが、「家督相続」と言う言葉は、本来、相当身分が高い人が亡くなった時にその地位等を次に引き継ぐ場合の用語だったと分ります。
そうすると、家督相続は当時の日本人にとって非常に大事なことで、また、旧民法においても戸主の権限が強大であったこともよく理解できます。

家督相続は、一般的に家長である父親の死亡により行われますが、父の生存中に行われる場合もありました。
前者を「跡目相続」(あとめそうぞう)と言い、後者を「隠居相続」(いんきょそうぞく)といいます。

一口に隠居と言いましても、言い方に種類がありました。
大名は「封を継ぐ」「家督を継ぐ」と言い、旗本、譜代の御家人クラスですと「家を継ぐ」と言ったようです。
隠居相続の場合の年齢制限ですが、隠居する方は基本的に特になかったようですが、被相続人は原則17歳以上と定められていました。
この隠居も届け出ればよいといものではなく、御目見え以上のクラスでは、疾病、老衰等の理由を添えて「願い出る」ことが必要でした。

隠居願いをしてお役御免になると、家督相続願いを更にして、また、これが許されると、城中に出頭させて老中の承認を得ることが必要でした。大変な手間と時間がかかったわけです。その後、相続の儀をお城で行ったのですから、何か月かは必要であったと思われます。
なかなか楽なご隠居さんと言うようには簡単にはならなかったようです。 

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