歴史ブログ 美しい地名 そうでない地名(2)

前回は、南アルプス市のお話をしました。今回は、さらに物凄い市町村名についてお話しさせていただきます。

2005年の話になりますが、愛知県の知多半島にあります常滑市の沖に中部国際空港が開港しました。この空港は、「セントラル=中部地方」と「空港=エアポート」の英語を組み合わせて、「セントレア」と言う愛称で呼ばれました。この空港が完成して地元の方々は大変喜ばれたようです。

この開港をを受けて、これまで合併を考えていた近隣の美浜町と南知多町は新市名を一般公募しました。その結果選ばれたのが「南セントレア市」でしたが、一体どこの国の地方自治体なのかも一目では不明ですし、過去の土地の歴史を無視した噴飯ものの珍名称で、住民の方のお怒りは当然だと思います。

さらいいけないことに、公募で選ばれるはずの新名称でしたが、公募の中には「南セントレア市」は全く存在しませんでした。この件は、全国的に報道され、批判を受けました。そのため「南セントレア市」という新名称(案)は撤回されましたが、その後の合併を問う住民投票では合併自体が否決されるという悲しい結末を迎えました。

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合併協議会のメンバーが、その土地の歴史やその土地に対する愛情が不足し知識も不足していたために行政に混乱を起こし、全国的恥ずかしいニュースが流されてしまいました。

さて、日本の行政区画ですが、そもそもは大宝元年(701)に制定された大宝律令にまでさかのぼることになります。
大宝律令の詳細は別の機会に譲るとしまして、律令によって五畿七道(ごきしちどう)という、今でいう広域行政区画が定められました。

五畿は都と中心とする畿内5か国(山城国=京都市、大和国=奈良県、河内国=大阪府(東部)、和泉=大阪府(南西部)、摂津=大阪府北中部および兵庫県(一部)を指し、七道は東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西南道を指します。

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山城国は、「山代」と書かれていたものが7世紀頃に平城京(奈良)から見て平城京のそばにあります奈良山の後ろの方角になるので「山背」と表記するようになったようです。大和国、もともと奈良盆地の一部の土地の名称でありました。河内国は、もともと川内と書かれてたようです。淀川と関係する地名なのかもしれません。和泉国は、もともと一文字の「泉」と表記されていましたが、律令制度下において国名を2文字にすることとなり、佳字(おめでたい文字)である和が付け加えられました。摂津国は、もともと一文字の「津」と表記されていましたが、壬申の乱の勝者となった天武天皇が津国を摂(管理)する摂津職を置き、この名称が国名へと繋がりました。

今回はここまでとし、次回は皆さんとご一緒にさらに詳しく見て行きたいと思います。
(2016年1月7日)

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