歴史ブログ 美しい地名 そうでない地名(3)

前回は、五畿七道の五畿(大和、山背(城)、摂津、河内、和泉)について触れましたので、今回は七道についてお話させていただきます。
七道は畿内から伸びて全国に広がる幹線道路で、また、現在の行政区分に相当するものです。

①山陽道②東海道③東山道④北陸道⑤山陰道⑥南海道⑦西海道の7つに分けられました。現在でも東海、東山、北陸、山陽、山陰などが七道に由来する名称として残っています。

幹線道路としての七道には駅が設けられ、駅馬や伝馬が置かれ、七道が整備されたことにより中央の命令・支持が速やかに地方まで伝達されるようになりました。
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畿内は、そもそも天皇の居所を「宮城」(きゅうじょう)と呼びましたが、第2次世界大戦後に廃止され「皇居」と呼ばれるようになりました。
この宮城の周りの役人・民衆の居所を合わせて「都城」(とじょう)といい、現在の首都のようなものに相当し、この周りにあるのが畿内になります。この畿内から伸びた大動脈のようなものが七道と言う幹線道路であり、行政区分になるわけです。

七道のランク分けとしますと、大路(たいろ)、中路(ちゅうろ)、小路(しょうろ)の三通りありました。
大路は山陽道だけで、中路は東山道と東海道の二つ。北六道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の5つは小路でした。山陽道は畿内と筑紫を結ぶためにとても重要視されました。山陽道の道幅は数メートルありましたので当時としてはとても広い道路だと思います。

こうした古代の七道や五畿、および細分化された66国2島は実は江戸時代まで行政区分として続きました。

最近、道州制の記事が新聞に掲載されることもありますが、こうした歴史も参考にしていただきたいと思います。
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また、市区町村の名称変更には単に目立つからというような理由ではなく、先祖からの財産である歴史ある地名を子孫に引き継ぐと言うことも忘れないでいただきたいと思います。
(2016年1月11日)

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